ヨーゼフ・ゲッベルスについて
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスは、1897年10月29日、ドイツ帝国プロイセン王国ライン州(Rhine Province)に属する小さな都市ライト(Rheydt)において生まれた。ライトはミュンヘングラートバッハ(現在のメンヒェングラートバッハ)と川を挟んで隣り合う双子都市で主要産業はミュンヘングラートバッハと同じく織物だった。宗教はローマ・カトリックが支配的であり、ヨーゼフの両親もそうであった。
父のフリードリヒ・ゲッベルス(Friedrich Goebbels)は、貧しい職工の家に生まれ、様々な会社の事務職を経て業務支配人まで出世した人物だった。ただし父フリードリヒの給料は一般の職工とそれほど変わりがなく、家計は貧しかった。母のマリア・カテリナ(Maria Katharina)(旧姓オデンハウゼン(Odenhausen))はオランダ人鍛冶屋の娘でフリードリヒとの結婚前にドイツ国籍を取得した女性だった。ヨーゼフは常に母カテリナを尊敬していたが、彼女が元オランダ人である事実はひた隠しにしていた。ヨーゼフは夫妻の三男であり、兄にハンス(Hans)とコンラート(Konrad)がいた。加えて姉にエリーザベト(Elisabeth)、妹にマリア(Maria)がいる。両親は貧しいが敬虔なカトリック教徒であり、ヨーゼフは司祭になるよう望まれていた。
ヨーゼフは、4歳の時に小児麻痺を患い、足を手術することとなった。そのためヨーゼフの発育は著しく遅れた。左右で足の長さが異なり、歩行がやや不自由な身体障害者となった。ヨーゼフは生涯にわたって整形医療具になえた足を包み、それを後ろに引きずるように歩く事を余儀なくされた。他の子供たちが興じていたダンス・スポーツ・遊びにも少年ヨーゼフは一切参加できなかった。このことはヨーゼフの決定的なコンプレックスとなり、ヨーゼフの人格形成に大きな影響を与えた。後にヨーゼフは自作の小説『ミヒャエル』の中で自らを投影した主人公ミヒャエル・フォーアマンを通じてこの時の心情をこう告白している。「他の少年たちが走ったり、はしゃいだり、飛び跳ねたりするのを見るたび、彼は自分にこんな仕打ちをした神を恨んだ。それから自分と同じではない他の子供たちを憎んだ。さらにこんな不具合者をなおも愛そうとしてくれる自分の母を嘲笑した。」
友達と遊ぶことができないヨーゼフは学校から帰ると屋根裏の自分の部屋に閉じこもって読書ばかりするようになった。特に縮刷廉価版のマイヤー百科事典(Meyers Konversations-Lexikon)を愛読して、幅広い知識を身につけたという。ヨーゼフの学校の成績は常に優秀であった。父フリードリヒもヨーゼフならば「ドクトル(博士号)」取得は不可能ではないとみて、貧しい家計をやりくりして彼をギムナジウムへ通わせることにした。肉体的劣等感をばねに、更に勉学に励んだヨーゼフの成績はギムナジウムでも首位を占めることが多かった。しかし同級生達からはあまり好かれず、教師達からははっきりと嫌われていたという。ヨーゼフは教師から嫌われていることに焦り、教師たちの関心を得ようとして同級生の告げ口をすることが多かったという。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ヨーゼフ・ゲッベルスは「プロパガンダの天才」「小さなドクトル」と言われていました。